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2018年01月15日

尖閣諸島開拓の日を祝う宴

尖閣諸島開拓の日を祝う宴

「尖閣諸島開拓の日を祝う宴」(主催・尖閣諸島を守る会)が14日、石垣市八島町緑地公園内の古賀辰四郎開拓記念碑前で行われました。
宴には中山義隆石垣市長、砂川利勝県議会議員、釈量子幸福実現党党首、三木巌八重山秒英協会長、那根元元竹富町長、佐久本用助宮木島市議会防衛議員連盟会長等が出席。
宴では古賀氏の功績を称えるとともに、尖閣諸島で警備に当たっている海上保安庁の職員の労い、実効支配の警備強化を要望。日本の固有の領土であり、行政区域である石垣市から、更なる情報発信に改めて決意を表明した。
尖閣諸島を守る会代表世話人仲間均のあいさつ文(全文)を記載します。
尖閣諸島開拓の日条例を祝う宴
 挨拶
 ご参集の皆さん、先ずは新年明けましておめでとうございます。
 輝かしい新年に当たって、ここ古賀辰四郎開拓記念碑前で「尖閣諸島開拓記念の日」条例制定を祝う第8回目の宴を開催することが出来た事を喜ぶものであります。皆様のご参集に心より感謝申し上げます。
 さて、今日に於いても、確信的な行動で領海侵犯を繰り返す中国公船に対して海上保安庁の巡視船が対峙する形で領海侵犯に対処しております。この場をお借りして海上保安庁の職員の労をねぎらい、感謝の誠を捧げたいと思います。
 尖閣諸島防衛は日本固有の領土を守るだけでなく、自然や文化を守り世界遺産とするためにも重要であります。尖閣諸島にある鰹節工場跡地の文化財指定や避難港建設、無線基地建設、灯台建設など、国に進言していく活動を展開して参ります。
 尖閣諸島はれっきとした日本固有の領土であり、石垣市の行政区域であります。ここ古賀辰四郎開拓記念碑に刻まれているように、明治から大正、昭和、平成に至るまで日本が実効支配し、石垣市の行政区域として石垣市字登野城2390~2394番地になっております。
私は尖閣諸島に相応し名称にすべきだと主張してきました。これが認められ、市当局は『登野城尖閣』と命名する方向で調整しており、実現すれば名実ともに石垣市の行政区域として国内外にアピールできるようになります。
 しかしながら、中国は相変わらず領有権を主張し、強硬手段による尖閣諸島奪取を視野に入れ、これまでにない動きを見せる中、軍事力の拡大は尖閣諸島が紛争に巻き込まれる危険性を帯びているといっても過言ではありません。
尖閣諸島周辺海域では日本の巡視船と中国公船が連日対峙し、中国公船は「尖閣は中国の領土だ」と主張し、領海侵犯を繰り返している現実を、国民に訴え続けるためにも、現地調査を継続する活動を展開していきます。
 尖閣諸島を守る会では、尖閣諸島の現状を広く、国内外に発信し、尖閣諸島周辺海域で漁民が安心して安全に漁労ができる環境を目指していくために、今後共、様々な活動を展開していかなければなりません。
 今日、尖閣諸島が日本政府によって明治28年1月14日に日本固有の領土として沖縄県の所轄とすることを閣議決定した日であります。古賀辰四郎氏が明治17年に尖閣諸島の開拓に着手してから10年余過ぎてやっと国が正式に尖閣諸島を日本の領土として認めたものであります。
 この尖閣諸島開拓記念碑の前で偉大な先人の功績を讃えるとともに、今日の「尖閣諸島開拓記念日」を市民とともに再確認し、平和のなかで尖閣諸島が日本固有の領土として、また、石垣市の行政区域として国内外に認められることを願って、挨拶と致します。
平成30年1月14日
※「尖閣諸島を守る会」は石垣市を拠点にした唯一無二の組織であります。同名で寄付金を募っている団体とは全く関係ありません。




Posted by 仲間均 活動ブログ at 11:54│Comments(0)
 
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