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2020年06月22日

尖閣字名変更を可決

 石垣市議会は尖閣諸島の字名変更議案について賛成多数で可決しました。これで尖閣諸島は石垣市字登野城尖閣に変更され、10月1日から施行されることになりました。22日の6月定例会最終本会議は賛否討論が行われ、字名変更の必要性を訴えました。賛成討論の内容は次の通りです。
 尖閣諸島字名変更議案に賛成討論
 先ず、ご承知の通り、尖閣諸島は我が国固有の領土であり、石垣市の行政区域であることはまぎれもない事実。
 石垣市字登野城の字名を変更するのに、近隣諸国との緊張を高めるというが、字名変更しなくても、尖閣諸島周辺海域は中国の公船が毎日のように接続水域を航行し、領海侵犯を繰り返して、一触即発状態にあります。
 字名変更に反対する皆さんは、尖閣諸島のことをどれぐらい知っているのか疑問に感じています。
 字名変更請願者の奥茂治氏より資料提供があり、平成2年ごろまでは字登野城の後に各島々の名前が明記され、この事実はあまり知られていません。元々字名は登野城だけではなかったということであります。
 この字名については、字登野城南小島2390番地のほか、字登野城北小島2391番地、字登野城魚釣島2392番地、字登野城久場島2393番地、字登野城大正島2394番地として、那覇地方法務局に登記されており、字名変更は行政事務の効率化にもつながるものであります。
 因みに、これらの島には昭和44年4月に石垣市が行政区域を明示するため地番を刻印した石柱を建立しております。建立した石柱が北小島と南小島に取り違えられていいることをここで指摘しておきます。
 本員は尖閣諸島の各島々へ16回上陸していますが、そこは正に自分たちの先人が住み、開拓の跡があり、まさにそこには、領土問題は存在しないのであります。
 先人が住んでいた石垣市登野城の尖閣諸島を、自らの島であることを、字名変更で明らかにすることが、なぜ素直に、受け入れられないのか。
 我々沖縄人(うちなーんちゅ)は、中国、台湾とは昔から貿易や経済、文化交流が盛んに行なわれてきました。
 だからこそ、豚の文化があり、沖縄の伝統文化空手があるのであります。
 台湾に於いては我が石垣市との文化交流、経済交流、八重山台湾親善交流などが盛んに行われています。
 石垣市の世界一美味しいといわれているパイン産業も台湾の林発(リン・パツ)さんが広めたとされています。
 多くの台湾出身者や二世、三世等、華僑の皆さんが、この石垣市の地で力強く頑張っております。
 なぜ、今の時期に字名を変更するかということでありますが、この件については市議会で、すでに字名変更について要請を決議しております。
 周辺諸国、特に中国への配慮が必要ではないかと指摘していますが、中国は字名を変更しなくても、領海侵犯を繰り返し、領有権を主張しております。
 昨年の中国公船、尖閣諸島周辺海域への航行は282回、領海侵犯は162回、まさに乗っ取りにきているといっても過言ではありません。
 現実を直視して頂きたい。中国が発生源となった新型コロナウィルスで世界中に蔓延し危機的状況の真っただ中においても、中国公船は領海侵犯を繰り返すだけではなく、我が国、漁船を追尾するなど国民の生命財産を脅かしております。
 尖閣諸島をめぐり日本政府は、領有権問題は存在しないとしており、石垣市の行政区域である、地番について変更するのは何ら問題はないと考えています。
 字名変更は字登野城から字登野城尖閣と正しく表記するための行政上の手続きであり、周辺諸外国からとやかく言われる筋合いのものではありません。
 諸外国に配慮すべきだという皆さんは、中国が尖閣諸島を乗っ取ろうとしている現実には目をつむり、字名変更は配慮すべきだというのは納得できないわけであります。
 今、尖閣諸島で何が起きているのか、行政区域である石垣市の議員の皆さんは、尖閣諸島の現状を自らしっかりと確認すべきであります。
 「配慮すべき」だとか、「時期尚早」だとか言う前に、特に野党の皆さんは尖閣諸島の現状を自らの目で見て欲しい。行動すべき時は、今なのであります。
 石垣市の行政区域である尖閣諸島を守り、島人の生命財産を守るという観点から、議員全員で一致団結、結束して欲しいと願うばかりであります。
 議案55号、尖閣諸島字名変更について、議員全員賛成で可決しようではありませんか、と訴え、この議案に賛成と致します。
以上であります。



Posted by 仲間均 活動ブログ at 13:39│Comments(0)
 
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