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2020年01月16日

尖閣諸島開拓の日を祝う宴

尖閣諸島開拓の日を祝う宴

「尖閣諸島開拓の日を祝う宴」(主催・尖閣諸島を守る会)が14日、石垣市八島町緑地公園内の古賀辰四郎開拓記念碑前で行われました。
 宴には中山義隆石垣市長、原口一博元総務大臣、平良秀之市議会議長、三木巌八重山防衛協会長、那根元元竹富町長、佐久本用助宮古島市議会議長、尖閣諸島を守る会東京支部・長尾士郎代表等が出席。「我が尖閣」の歌・踊りも披露された。
宴では、これまで尖閣諸島を守る会の活動に功績のあった、中町匡志氏、志田英喜氏、高橋徹氏へ感謝状が贈られた。
 宴では古賀氏の功績を称えるとともに、尖閣諸島で警備に当たっている海上保安庁の職員の労い、実効支配の警備強化を要望。日本の固有の領土であり、行政区域である石垣市から、更なる情報発信に改めて決意を表明した。
 尖閣諸島を守る会代表世話人仲間均のあいさつ文(全文)を記載します。
尖閣諸島開拓の日条例を祝う宴
ご参集の皆さん、先ずは新年明けましておめでとうございます。
輝かし新年に当たって、ここ古賀辰四朗開拓記念碑前で「尖閣諸島開拓記念の日」条例制定を祝う第十回目の宴を開催することができたことを喜ぶものであります。皆様のご参集に心より感謝申し上げます。
さて、今日に於いても、確信的な行動で領海侵犯を繰り返す中国公船に対して海上保安庁の巡視船が対峙する形で領海侵犯に対処しております。
ちなみに昨年、中国公船の尖閣諸島周辺海域への航行は282回。領海侵犯は162回の最多となっております。この場をお借りして海上保安庁の職員の労をねぎらい、感謝の誠を捧げます。
また、7日付で就任した奥島高弘新長官に於かれまして現場の声、職員への気配り、安全確保には万全を期してもらいたいと願っております。
尖閣諸島防衛は日本固有の領土を守るだけでなく、自然や文化を守り、世界遺産とするためにも重要であります。尖閣諸島にある鰹節工場跡地の文化財指定や船溜まり建設、無線基地建設、灯台建設など、国に進言していく活動を展開して参ります。
尖閣諸島はれっきとした日本固有の領土であり、石垣市の行政区域であります。ここ古賀辰四朗開拓記念碑に刻まれているように、明治から大正、昭和、平成、令和に至るまで日本が実行支配し、石垣市の行政区域として石垣市字登野城2390~2394番地となっております。
しかしながら、中国は相変わらず領有権を主張し、強硬手段による尖閣諸島奪取を視野に入れ、これまでにない動きを見せる中、軍事力の拡大は尖閣諸島が紛争に巻き込まれる危険性を帯びているといっても過言ではありません。
新聞報道によると2006年から尖閣諸島の乗っ取りを計画していたことが明らかになりました。今年は3月に国賓として習近平国家主席が来日しますが、果たして如何なものかと疑問に思うのは私だけではないと思います。
尖閣諸島周辺海域では現在でも日本の巡視船と中国公船が連日対峙し、領海侵犯を繰り返している中国公船は「尖閣は中国の領土だ」と主張している実態について、漁労を通して、今後とも国民に訴え続ける活動を展開して参ります。
尖閣諸島を守る会では、尖閣諸島の現状を広く、区内外に発信し、尖閣諸島周辺海域で漁民が安心して安全に漁労ができる環境を目指していくために、今後とも、さまざまな活動を展開していかなければなりません。
今日、尖閣諸島が日本政府によって明治28年1月14日に日本固有の領土として沖縄県の所轄とすることを閣議決定した日であります。古賀辰四朗氏が明治17年に尖閣諸島の開拓に着手してから十年余過ぎて、やっと国が正式に認めたものであります。
この尖閣諸島開拓記念碑の前で偉大な先人の功績をたたえるとともに、今日の「尖閣諸島開拓記念日」を市民とともに再認識し、平和のなかで尖閣諸島が日本固有の領土として、また、石垣市の行政区域として国内外に認められることを願って、挨拶と致します。
令和二年一月十四日
尖閣諸島を守る会
代表世話人 仲間 均




Posted by 仲間均 活動ブログ at 10:10│Comments(0)
 
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